プロフィール

プロフィール

1966年6月16日生まれの44歳。
妻・長男・長女の4人家族、向山校区在住。
両親も同校区に在住しています。

趣味
読書、自転車
好きな食べ物
おでん、みたらしだんご、すし、冷やし中華
(基本的に嫌いなものはなし)
好きな政治家
西郷隆盛、大久保利通、徳川家康
座右の銘
虚心坦懐(きょしんたんかい):
わだかまりをもたず自然な心でいること
好きな歌
ビリージョエル「素顔のままで」
坂本九「上を向いて歩こう」
好きな有名人
宮澤賢治
好きなスポーツ
自転車、ラグビー、格闘技、フットサル

学歴

1985年03月
  • 愛知県立旭丘高校卒業
1989年03月
  • 東京大学農学部農業経済学科卒業

職歴等

1989年04月
  • 株式会社東海銀行入行(現・三菱東京UFJ銀行)、虎ノ門支店・八重洲支店勤務
  • 欧州東海銀行(ロンドン現地法人)にて、ファイナンシャル・エンジニアリング(最先端金融取引)研修
  • 帰国後は情報開発部、国際金融部に勤務
1994年07月
  • 同行退社
1994年08月
  • 高校・大学の1年先輩・古川元久氏とともに、「日本を変える」志を持って、二人で愛知県に戻り政治活動を始める。
1996年10月
  • 第41回総選挙における古川元久氏の東海比例区初当選に伴い、衆議院議員古川元久公設第1秘書就任 (1年間、以後は私設秘書等)
1999年
  • 豊橋サイエンス・コアにて、エコ・マーケット研究会専門委員
2000年09月
  • 株式会社東海総合研究所(現・三菱UFJリサーチ&コンサルティング)入社
    ベンチャー企業支援、ISO14001導入支援、組織再編、企業再生、M&A、公益法人改革支援等を担当
2004年03月
  • 同社退社
2004年04月
  • 衆議院議員古川元久公設第1秘書就任
2005年09月
  • 第44回総選挙出馬(次点)
2005年11月
  • 民主党愛知県第15区総支部長就任
2009年08月
  • 第45回総選挙にて初当選
2010年07月
  • 現在、農林水産常任委員会理事
  • 予算常任委員会委員
  • 民主党企業団体対策委員会副委員長(金融担当) 
  • 民主党農林水産部門農業農村整備事業WT              (ワーキングチーム)座長

東海銀行員時代

資本主義・市場主義・国際金融の根幹を見てみたくて銀行に就職しました。

国内営業
  • 最初は東京の虎ノ門支店に配属になりました。
    担当エリアは、東京23区の南半分に広がる取引先で軽四で走り回っていました 。
    地元とは違い、東京での営業活動は知名度・浸透度が低いためなかなか厳しいものでした。
    でも、首都東京のど真ん中での営業経験は大変有意義でした。
アメフト
  • ラグビー経験を買われて、未体験の社会人アメフト部入り。主にラインの役で、ぶつかり専門でした。体力だけでなく複雑なサインを覚えなければならなくて苦労しました。
ロンドン
  • 行内の研修で、ロンドンにある現地法人欧州東海銀行に行きました。
    当時、邦銀の現地法人で一番利益を上げていたチームの下で、デリバティブや金融マーケットの実技研修を行なう予定でしたが、諸般の事情で、コーポレートファイナンス部門で、研修期間を過ごしました。
    10cmくらいある英文の契約書をチェックするドキュメンテーション業務には正直言ってまいりました。毎日、午前様。
金融市場
  • エース級の外国人投資チームの人たちには驚きました。
    彼らは数学や物理学の博士号を持っていて、自分たちでコンピューターの投資プログラムを作って、世界中に人脈(オイルダラーや政治家なども)を持っている人たちで、世界最先端の投資理論構築を行なっていました。
    でも、そのことに驚いたのではなく、彼らが現金しか信じないことに驚きました。
    「仮想利益を上げるトップランナーが現金報酬にこだわる」ことは矛盾ではなく、自然であり現実だったのかもしれません。
    世界はしたたかです。
    そして、世界の強欲さの前に「今のままでは日本は危ない」と感じました。
東京本部
  • 帰国後は、情報開発部・国際金融部でリース関係や新商品開発などを手がけていました。
    肉体的な体力というよりも、脳みその体力(集中力×持久力)が要求される仕事だなあと思いました。
    総じて、銀行員時代はいろんな経験をさせてもらったという感想です。
    きわめて短期間で様々なことを覚え、モノにしていかねばならない環境下でしたので、あまりゆっくりと歴史や世界を考えることができませんでした。
    国際金融の現場やディーリングルームでは、世界の政治・経済の予想が繰り広げられ、変化に対して早急に対応しないと生き残っていけない、そんな毎日でした。
    利益の前に国家や国民が消えてしまいそうなそんな世界に驚きと疑問が拡大していきました。
ローターアクト
  • 銀座、銀座新、築地の3ロータリークラブで作る中央ローターアクトに所属していました。
    東銀座の歌舞伎座の隣で開催される毎月1回の卓話では各界で活躍される方々の話を聞くことができました。
    94年度の会長になってすぐに愛知県に戻ったため、途中で辞職してしまい、皆さんにはご迷惑をおかけしました。
インターボール
  • 首都圏在住の外国人を中心にバレーボールで国際交流したい人たちで、サークルを作りました。
    毎回,50名位の参加者で大変盛り上がりました。
    特に週末バレーボール終了後の食事会、2次会では国際色豊かな会話がはずみました。

愛知県に戻ってきてからは参加しておらず、ご無沙汰しています。

政治活動時代

資本主義・市場主義・国際金融の根幹を見てみたくて銀行に就職しました。

真夜中の電話
  • 自社さ連立政権が発足したころのある真夜中1時ごろに自宅の部屋の電話が鳴りました。高校と大学の1年先輩で大蔵省に勤めていた古川元久氏からの電話でした。
    彼はその時ニューヨークの大学に留学していて、その電話もニューヨークからでした。
    「日本を変えるために政治の世界に飛び込む決意をした。官僚では日本を変えられない。いっしょに日本を変えよう。」
    「どうやって日本を変えるんですか???」
    「政治家になるんだ。」
    「そんなに簡単に政治家になれるんですか?選挙で勝てるんですか?」
    「地盤も看板もカバンもない。」(いわゆる三バンなし。後援会も知名度もお金もない。)
    「そんなので勝てるんですか??????」
    「やってみなけりゃわからない。」
    私は「この人は大ばか者だ。」と思った。
    でも、「大ばか者が一人では単なる大ばか者で終わってしまうかもしれないが、大ばか者が二人いれば違うかもしれない。」と考えました。
    とはいえ、電話一本でそんなに簡単に「やりましょう」とも言えず、しばらく考え込みました。
銀行退行
  • 人生は一度しかありません。
    人間社会そのものが政治であり、どのような形であれ政治に関与せざるを得ないのが現実です。
    周りに政治にかかわる人がほとんどいなかった私にとって、まったく無知な状態での船出に対する不安と恐怖がありました。
    一度きりの人生の中で、人のために人生を賭けること、社会のために死ねることほどありがたいことはない。そんな切迫した思いが募り、結局銀行を辞めて、大海に船出することに決めました。
浪人時代
  • 古川氏が初当選するまでの2年間はものすごく凝縮された時間でした。
    また、後日ゆっくりと記述させていただきます。