生年月日
1966年6月16日生まれ (41歳)
 
家族構成
妻・長男・長女の4人家族、向山校区在住
 
両親も同校区在住
 
< 学 歴 >
 
 
1985年03月
愛知県立旭丘高校卒業
 
1989年03月
東京大学農学部農業経済学科卒業
 
 
< 職歴等 >
 
  1989年04月

株式会社東海銀行入行(現・三菱東京UFJ銀行)、

虎ノ門支店・八重洲支店勤務

 

欧州東海銀行(ロンドン現地法人)にて、

ファイナンシャル・エンジニアリング(最先端金融取引)研修(翌3月まで)

 
1992年07月
帰国後は情報開発部、国際金融部に勤務
 
1994年07月
同行退行
 
1994年08月
高校・大学の1年先輩・古川元久氏とともに、「日本を変える」志を持って、二人で愛知県に戻り政治活動を始める。
 
1996年10月

第41回総選挙における古川元久氏の東海比例区初当選に伴い、

衆議院議員古川元久公設第1秘書就任 (1年間、以後は私設秘書等)

 
1999年
豊橋サイエンス・コアにて、エコ・マーケット研究会専門委員
 
2000年09月

株式会社東海総合研究所

    (現・三菱UFJリサーチ&コンサルティング)入社

 
ベンチャー企業支援、ISO14001導入支援、組織再編、企業再生、M&A、公益法人改革支援等を担当
 
2004年03月
同社退社
 
2004年04月
衆議院議員古川元久公設第1秘書就任
 
2005年09月
第44回総選挙出馬(次点)
 
2005年11月
民主党愛知県第15区総支部長就任(現在に至る)
     
     
 

<その他>

2006.9.11現在
     
 
趣味
読書、自転車
 
 
好きな食べ物
おでん、みたらしだんご、すし、冷やし中華 (基本的に嫌いなものはなし)
 
 
好きな政治家
西郷隆盛、大久保利通、徳川家康
 
 
座右の銘
虚心坦懐(きょしんたんかい):わだかまりをもたず自然な心でいること
 
 
好きな歌
ビリージョエル「素顔のままで」
 
 
好きな有名人
宮澤賢治
 
 
好きなスポーツ
自転車、ラグビー、格闘技、フットサル
 
 
     
     
 

■想い出■  とかく美化されがちですが...

   
 
<東海銀行員時代>
 
資本主義・市場主義・国際金融の根幹を見てみたくて銀行に就職しました。
 
 
国内営業
最初は東京の虎ノ門支店に配属になりました。
 
担当エリアは、東京23区の南半分に広がる取引先で軽四で走り回っていました。
 
地元とは違い、東京での営業活動は知名度・浸透度が低いためなかなか厳しいものでした。
 
でも、首都東京のど真ん中での営業経験は大変有意義でした。
 
 
アメフト
ラグビー経験を買われて、未体験の社会人アメフト部入り。
 
主にラインの役で、ぶつかり専門でした。
 
体力だけでなく複雑なサインを覚えなければならなくて苦労しました。
 
 
ロンドン
行内の研修で、ロンドンにある現地法人欧州東海銀行に行きました。
 
当時、邦銀の現地法人で一番利益を上げていたチームの下で、デリバティブや金融マーケットの実技研修を行なう予定でしたが、諸般の事情で、コーポレートファイナンス部門で、研修期間を過ごしました。
 
10cmくらいある英文の契約書をチェックするドキュメンテーション業務には正直言ってまいりました。毎日、午前様。
 
 
金融市場
エース級の外国人投資チームの人たちには驚きました。
 
彼らは数学や物理学の博士号を持っていて、自分たちでコンピューターの投資プログラムを作って、世界中に人脈(オイルダラーや政治家なども)を持っている人たちで、世界最先端の投資理論構築を行なっていました。
 
でも、そのことに驚いたのではなく、彼らが現金しか信じないことに驚きました。
 
「仮想利益を上げるトップランナーが現金報酬にこだわる」ことは矛盾ではなく、自然であり現実だったのかもしれません。
 
世界はしたたかです。
 
 
東京本部
帰国後は、情報開発部・国際金融部でリース関係や新商品開発などを手がけていました。
 
肉体的な体力というよりも、脳みその体力(集中力×持久力)が要求される仕事だなあと思いました。
 
 
総じて、銀行員時代はいろんな経験をさせてもらったという感想です。
 
きわめて短期間で様々なことを覚え、モノにしていかねばならない環境下でしたので、あまりゆっくりと歴史や世界を考えることができませんでした。
 
 
国際金融の現場やディーリングルームでは、世界の政治・経済の予想が繰り広げられ、変化に対して早急に対応しないと生き残っていけない、そんな毎日でした。
 
 
ローターアクト
銀座、銀座新、築地の3ロータリークラブで作る中央ローターアクトに所属していました。
 
東銀座の歌舞伎座の隣で開催される毎月1回の卓話では各界で活躍される方々の話を聞くことができました。
 
’94年度の会長になってすぐに愛知県に戻ったため、途中で辞職してしまい、皆さんにはご迷惑をおかけしました。
 
 
インターボール
首都圏在住の外国人を中心にバレーボールで国際交流したい人たちで、サークルを作りました。
 
毎回,50名位の参加者で大変盛り上がりました。
 
特に週末バレーボール終了後の食事会、2次会では国際色豊かな会話がはずみました。
 

正式名称は Tokyo International Volleyball Club です。http://www.alles.or.jp/~ihnakada/ihnakada_j.html

 
愛知県に戻ってきてからは参加しておらず、ご無沙汰しています。
 
     
 
<政治活動時代>
 
 
真夜中の電話
自社さ連立政権が発足したころのある真夜中1時ごろに自宅の部屋の電話が鳴りました。高校と大学の1年先輩で大蔵省に勤めていた古川元久氏からの電話でした。
 
彼はその時ニューヨークの大学に留学していて、その電話もニューヨークからでした。
 
「日本を変えるために政治の世界に飛び込む決意をした。官僚では日本を変えられない。いっしょに日本を変えよう。」
 
「どうやって日本を変えるんですか???」
 
「政治家になるんだ。」
 
「そんなに簡単に政治家になれるんですか?選挙で勝てるんですか?」
 
「地盤も看板もカバンもない。」(いわゆる三バンなし。後援会も知名度もお金もない。)
 
「そんなので勝てるんですか??????」
 
「やってみなけりゃわからない。」
 
私は「この人は大ばか者だ。」と思った。
 
でも、「大ばか者が一人では単なる大ばか者で終わってしまうかもしれないが、大ばか者が二人いれば違うかもしれない。」と考えました。
 
とはいえ、電話一本でそんなに簡単に「やりましょう」とも言えず、しばらく考え込みました。
 
 
銀行退行